Lens/creative strategy

Lens/creative strategy ブランドコンサルティング、広告企画、コンセプト開発、戦略デザイン、マーケティング企画

30/08/2025

以前、僕のメンターであるクリス・ライリーと会話している中で、「君が『欧米的』と認識しているものの大部分は『キリスト教文化的』なものだよ」と教えられてハッとした事がある。
確かに日本と対比する相手として「欧米」というのは地理上の区分にすぎず、文化的な考察をするにはあまりに雑で、漠然としていた。

あらためて日本という国の文化的個性を考察する際、キリスト教的世界観、あるいはイスラム教、ユダヤ教も合わせたアブラハムの一神教的な世界観との対比で見ると、くっきり浮かび上がってくることが多い。
忘れがちだが、日本は侵略による自国文化の破壊や他言語使用の押し付け、外圧による一神教化の強制を受けることなく、土着的な多神教が残ったまま近代化し先進国化したほぼ世界唯一の例だ。戦後、生活文化の多くが洋風化される中、言語体系や宗教観は欧米由来の上書きがなされなかった。母国語で高等教育を受け、一流企業で仕事できるから、英語なんてできなくてもいい。

日本語。曖昧さや解釈の余地を多く残し、感覚の伝達能力に優れた独自の言語が、独自の世界観や思考、倫理観を育んできた。それは曖昧ゆえに包摂的で、感覚的ゆえに論理や規範や立場を超えて人を結びつける柔軟な力を発揮する。日本的な宗教観も、そうしたしなやかな感性の上に成り立ってきた。
この世界はいろんな神様が時に争いながらも共存してできている。だから時と場所、場合に応じて様々な神様に手を合わせ、祈る。お地蔵様などには畏怖よりも慈しみの心で接したりする。神と妖怪の境界だってあやふやだ。クリスマスのあと除夜の鐘を聞いて初詣に行く。日本人にとっては普通のことだが、世界にはそういう態度に眉をひそめる人も多いだろうし、下手をすれば敬虔な信者に激怒されかねない。
妙心寺退蔵院の松山大耕さんが、こうした日本人独特の宗教的な節操の無さを考察して、日本人にとって信仰は「Believe」ではなく「Respect」だと言っていた。
確かに僕らは、優れた職人芸を神業と崇め、友達に「神」と言って感謝したりする。この感覚はリスペクトだ。まさに神様は多様。みんな違って、みんな偉いのだ。

さて、ブランディングの目的として「信奉者」を作る、という視点がある。単なる消費者・顧客を超える熱狂的な支持者を作り、伝道師として布教活動を担ってもらう、という考え方。
カルトブランディングという概念もあるようだ。
こうした宗教的なレトリックが用いられるのは、社会の豊かさが増して人々の欲求がより高次元の精神的なものに向かったことと、デジタル技術によるコミュニケーションの双方向化・民主化で、人々が能動的な発信者となったことが深く関係している。

かつて、人々の個性や能動性を考慮しないことで成功してきたマスマーケティングの発想では、軍事戦略や武力のレトリックが多く用いられた。軍事戦略の目的は制圧と統治。市場シェアは領土に置き換えて戦略・戦術をイメージしやすかったし、プロパガンダ的な広告コミュニケーションも機能した。工業生産力で軍事・経済ともに世界一の大国になったアメリカ発の思考には説得力があった。

ところがこうしたレトリック、僕は頭では理解できても、どこかに生理的な拒絶を伴う違和感が残るのだ。戦争放棄国の日本でビジネスやマーケティングを軍事に例えるのも好きではなかったが、宗教的な表現はさらに心理的な防衛機能が働く。
それはアメリカンジョークの居心地の悪さや、人種差別に対するセンシビリティに触れた時の戸惑いにちょっと似た感覚で、きっと「宗教」との向き合い方の違いによるものだと思う。
カルトという言葉には警戒感が湧く。熱狂した人とは冷静になるまで距離を置こうと思う。エバンジェリストを「伝道師」と直接的な日本語にして企画書に書くのはどことなくためらわれる。

それはオウム真理教や統一教会に端を発した事件からの不穏な連想の影響もあるだろう。盲目的に何かを信じて他者も同調させようと熱心に活動する人には危うさを感じるし、人々を熱狂させようと目論む存在にはつい邪悪さを予感してしまうのだ。(人々が結果的に熱狂する作品を創るピュアな神アーティストはリスペクトするけれど)

そういう意味では、ブランドへの能動的な関係性を織り込んだ顧客のあり方として「推し」という感覚はしっくり来る。
伝統的な「タニマチ」の感覚に近い。かつては豪商など金持ち旦那の道楽だったものがデジタル時代になって民主化・クラウド化されたと考えるとわかりやすい。ただ好きだと言うだけでなく、自分もその対象に影響力を持つ支援者としての関係性に自己実現を見出す投資活動だ。表面的には直接的なリターンを期待しない献身・自己犠牲的な行為にも見えるが、実は精神的な充足感という究極的なリターンを得るものだ。

そこで、「推し」の感覚をブランディングに持ち込み、“クラウドブランディング”の基盤となる方法論や発想法を整理しようと、参照すべき専門知識やメソッドを探ってみた。今、実際に人を動かしている現場の人からの一次情報が欲しいので、学者やマーケターが書いた本などはあまりあてにならない。
現象としてはエンタテイメント領域にたくさん事例があるが、いかにもとりとめがないので、ある程度ビジネスとして組織化・体系化された枠組みのあるものを探ってみて、まずハリウッドのシナリオライティングのメソッドに行き当たった。さすが、銀行家がシナリオを読んで投資判断をするというハリウッドだけあって、主人公に感情移入して共感と応援の心理を作るための実践的なノウハウが整理されており、かつ作品そのものが成果物なので事例として見た時にエッセンスがわかりやすい。

そこに行動喚起の要素を重ねるために、AKBやBTSなどアイドルユニットのファンダム形成法も考察してみたが、面白いことにこれらを一般化すると、何度か取材した歌舞伎町のホストクラブで教えてもらったテクニックと共通する部分が多いことに気づく。
ホストとはまたずいぶん卑俗な例で、学者の先生には馬鹿にされそうだが、そこにはむき出しのリアリティがあって、何らかの真理の存在を感じている。

これはまた次の機会にここにまとめて書いておこうと思う。

ちなみにホストのノウハウには他にもベンジャミン・フランクリン効果に通じる『M度判定のテクニック』なども存在していて、行動デザイン上もとても興味深い。

昨今、ホストクラブ界隈は売掛問題で悪いイメージもあるが、振り込め詐欺のシナリオを考える犯罪者に高齢者インサイトをとらえた行動心理の才能を感じてしまうように、犯罪との境界にはビジネス目線で考察に値する題材が眠っている事が多い。これはNakedCommunications創設メンバーのアダム・フェリエ(犯罪心理研究者)から教わったことだ。
そしてさらにその被害者側を考察すると、精神病理との境界(愛着障害など)にはインサイトの宝庫がある。

ヒトラーはプレゼンテーションの天才で、第一次世界大戦後の恐慌で病んでいたドイツ社会を大きく動かした。あの賢明で堅実なドイツ民族をだ。
よく切れる刃物は何にどう使うかが問題なのだ。

マズローの欲求五段階説。物質的に解決できる下位の欲求が満たされると、より精神的な上位の欲求へランクアップしてゆくという考え方は納得度が高く、今日的なブランディングや商品開発の視点として承認欲求や自己実現欲求の充足を重視することの大切さを理解...
09/01/2025

マズローの欲求五段階説。
物質的に解決できる下位の欲求が満たされると、より精神的な上位の欲求へランクアップしてゆくという考え方は納得度が高く、今日的なブランディングや商品開発の視点として承認欲求や自己実現欲求の充足を重視することの大切さを理解しやすい。

が、いまひとつ腑に落ちないのは、僕らが日常を生きていくうえでの主な原動力となっている「楽しさ」や「気持ちよさ」の置き場に困ることだ。夕日が美しいとか、寒い夜にラーメンがうまいとか、ふかふかの布団が心地よいとか、風呂上がりのビールって最高だよなとか。
別に誰に認められなくてもいいし、自己実現というほど大げさなものでもない、自分にとってのちょっとした幸せ。生理的欲求というほど切羽詰まっていないし、安全欲求とはだいぶ違う(背脂系ラーメンなんてかなり危険だ)。なら帰属と愛の欲求かと言うとそれもどうもピンと来ない。でもそうした、ただ純粋に五感で感じる快感の喜びは、間違いなく僕らに今日と明日を生きる活力を与えてくれている。これらは五段階のどこに収めればいいのか?

そこで自分なりに、五段階の三段目あたりに「快と楽の欲求」という、感覚器が主役になる欲求段階を設定してみた。それより下位はDNAと脳の旧皮質が主役で主に物質的に満たされる欲求。それより上位は脳の新皮質が主役で、精神的に満たされる欲求。「快感/快楽の欲求」は、物質と精神、機能と意味のコンビネーションで満たされ、下位欲求から上位欲求へのブリッジとなる欲求だ。
これでいろんなことが考えやすくなり、商品コンセプトやコミュニケーションを発想する出発点としても使い勝手がいい。たとえば商品ベネフィットは五感で感じる心地よさの価値を核に据えて、機能面では生理・安全欲求に対する目配りを行い、ブランドコンセプトとしては承認・自己実現欲求に触れる要素を盛り込んだコミュニケーションシナリオを構築し、共感を得てファンを作る。

医学博士の石川義樹先生が以前、日本人は他のどの民族よりも五感をバランスよく組み合わせて世界を認識する特長があると話してくれた。これは苔むした岩にまで美を求めるほど感覚の解像度が高く、快感の追求に貪欲な日本の文化と強く関連する特性で、日本の強みとしてビジネスにおいてももっと自覚的に育て、発信して行くべき独自性だと思っている。
ブランドや商品のコンセプト、コミュニケーションやプロモーションを発想してゆく際、マスメディアの影響力の大きさでともすれば視覚・聴覚に偏りがちだった視点に、嗅覚・味覚・触覚や「気配・予感・空気感・違和感」といった第六感の力も意図的に加えて行くと、新しい気づきや今日的なアイデアも得られやすいし、何より、考えていて楽しい。

ところで、偉大なマズロー先生がこうした「快・楽を求める」欲求の塊に気付かないはずがない。五段階説に組み込まなかったのはなぜだろうか。気になって調べてみたが、どうやら宗教的な背景があるようだ。マズローは自身もユダヤ教のラビの家に生まれている。唯一絶対神を崇める砂漠の民の宗教は現世の享楽を戒める禁欲的な姿勢を持つ。天上での幸福のために、人は地上では欲求を抑えて生きるべきなのだ。そうした宗教的な「欲求」観に対してマズローの主張は「欲求は抑えこむのではなく、正しく満たしてやるべきだ」という挑戦的なもので、それが彼の説の最大の意義だった。その主張の根拠として提示されたのが「人は原始的な欲求が満たされることで、より崇高な欲求へとステップアップしていく」というロジック。1950年代の宗教的倫理観と折り合いをつけるために、ステップアップ先の上位には愛・承認・自己実現という、倫理的に否定されない欲求を並べる必要があったのだろう。
「正月は明るいうちからだらだら飲んでテレビをみながら寝落ちしたい」などという、大罪につながるけしからん「快感・快楽」の欲求を段階の一つと認めて組み込むことはできなかったのではないだろうか。

ところがわが日本の土着の多神教文化では禁欲というのは馴染まない。スサノオノミコトは傍若無人でとんでもない輩だったし、拗ねて引きこもったアマテラスも乱痴気騒ぎに惹かれて姿を表した愛すべき存在だ。
そうして生まれた日本人の気質は、楽しいこと、気持ちいいことを貪欲に追い求め、創意工夫と努力を惜しまない。そこからたくさんのユニークな文化や商品・サービスが生み出されてきた。快楽を追うことは文化的に善として許容され、しかもそれが特権階級だけではなく庶民生活のレベルにまで浸透していたが日本の凄さだ。
今日に至っても、およそ世界中の料理が低価格で堪能できるグルメ文化、全国各地の温泉地の充実ぶり、温水が出て清潔な無料の公衆トイレ、駄菓子やコンビニスイーツのレベルの高さ、バラエティ豊かな性風俗、など日本の隅々に至るまで、快を追求する文化の多彩さと層の厚さは半端じゃない。

仏教の影響もあるにはあったが、やれ山鯨だ般若湯だと呼び名を与えては堂々と嗜み、あるいは饅頭の餡を肉から豆に代えて壮大な「あんこ」文明を発展させた。海外から伝来した文化の良い部分を土着の文化に取り込んで、ハイブリッドな生活文化を作った。平均的な日本人の多くはクリスマスパーティの翌週、寺の鐘をおごそかに聞き、晴れやかに神社に初詣に行くことを楽しむ。ポルトガル料理だった天ぷらはいつしか伝統的な懐石料理にちゃっかり収まっている。
一見、実にしたたかで節操なくも思えるが、快と楽の追求にひたむきな、「快道/楽道」とでも呼ぶべき基本姿勢はぶれていない。

もちろん社会秩序維持のために過剰な快楽追求は制約されるが、それも宗教的な戒律に基づくものではなく、快と楽の社会的総和の最大化を目指すコンセンサスの上でルールが適用されていると考えるべきだ。拾った財布をネコババしないのも、ゴミを片付けて帰るのも、罰が下るからではなく、それで自分もみんなも気持ちよくなるから。
これはファンダム/常連の行動心理に通じ、クラウドブランディングのエンジンにもなる感覚だ。

また、高齢化社会の中で「長寿」が必ずしも目標ではなくなってきた今、改めて健康の意義、QOLの定義を問い直す際にも、まず「快」「楽」という切り口から考察していくことはきっと有意義なはず。デイサービス「ラスベガス」のようなアプローチはこれからさらに増えていくに違いない。

まずは「快」より始めよ。
哲学と美学の中間あたりにあるこの領域の探究を、今年のテーマにしてみたいと思った。

12/06/2024

本格的にシナリオライティングを習い始めて1年半。社会人になってからほぼコミュニケーションプラニングの一本足で生きてきて、成長の余地が目減りしてきたのを感じたから、ちょっと脇道にそれて新しいスキルを身に着けようという軽い気持ちで始めたもの。ところがこれが思った以上にいろいろ新鮮な気づきが得られて驚いている。日本ではエンタメやショービジネスの産業としての基盤は残念ながら脆弱で、近代的なマーケティングとの接点や相互交流はかなり限られている。ところが、あらためてマーケティング側から見てみると、すごく役に立ちそうなノウハウがいろいろと埋蔵されていることに気づく。
例えばシナリオライティングの基礎として教え込まれる事のひとつに「主人公への共感」の獲得のしかたがある。映画でもTVドラマでも、開始から10分以内に観客に主人公の魅力が伝わり、感情移入が起こり、好きになってもらえないと、その先主人公がどんな目に遭おうが観客は無関心だ。興行的には失敗するだろうし、そもそも脚本から実制作へと進まない。だからそのためのノウハウが研究されている。ドラマ作りの基本は、「簡単には手に入らない何かを強く求める主人公」がいて、その前に次々と障壁が立ちはだかること。話の展開はストーリーだが、その障壁を乗り越えて主人公が変化/成長してゆくのがドラマだ。そしてその主人公を応援したい気持ちを起こさせるには、強みや長所だけではなく、必ず二面性や弱点を見せ、足枷を設定し、葛藤させなければならない。
今日の情報環境においてブランドコミュニケーションを考える時、ブランドの側がマスメディアの力で自分の長所を示して夢を語る、押しつけのコミュニケーションではもう人は動かない。主導権は生活者側にある。能動的な生活者に、ブランドを一つの人格として好きになってもらい、「推し」てもらうための方法論が求められる。それにはドラマ作り・シナリオライティングの基本鉄則が大いに参考になるはずだが、これまでコミュニケーションプラニングの設計においてそうしたノウハウはあまり体系的に導入されてこなかったと思う。「ファンを作るためにブランドの欠点や弱点を見せましょう」という提案に、素直に頷いてくれる企業のトップはまだ希少なのではないか。
受け身の視聴者・読者に向けた15秒のTVCM、あるいは1枚のグラフィック広告のようなフレームではそうした物語的なアプローチは活かしきれなかったのかもしれない。が、今日のように双方向のコミュニケーション環境が整備されてきた中で、時間をかけて強いファンダムを構築するという取り組みにおいては、ブランドという“主人公”を応援するマインドの作り方として、ドラマ作りや演劇的手法には学ぶべきことが多いと感じる。
シナリオスクールでは演劇をやっている人とも知り合いになり、誘われて演劇のワークショップにも参加してみた。劇団員向けの、インプロビゼーション、いわゆる即興劇のWSだが、これも実に興味深い体験だった。何かを演じようとする際に、まずは自分を空白にしてから、演じる先の自分と出会い、その自分から沸き起こる感情を声にして発するという感覚のトレーニングを『ハーフマスク』という仮面をつけて体験するもの。うまく言語化できないが、「自分の中から何かを生み出す」クリエイティブの感覚の根幹部分を揺さぶられる、刺激的な体験だった。
大学を出て就職する際、食っていける自信がなくて演劇や自己表現の世界とは決別して生きてきたのだが、この歳になってあらためて覗いてみたら、この世界には素敵な発想の原石がまだたくさん転がっていたということに気づいた。

18/11/2022

宣伝会議の「Web&広告プラニング講座」が「デジタルコミュニケーション講座」と名を変え、10/25にその初回を担当しました。

かなり総合的な守備範囲を持つこの講座からついに「広告」の文字が消える感慨深さ。そして今からあえて「デジタル」を表看板に掲げることの意味づけをしっかりしておかなくては、という思いから、新しい論点を盛り込んで内容を再構築し、臨みました。
特に今回は、メタバースプラットフォーム開発を行うSynamonの創業メンバーとの会話から得た気づきや着想を言語化して、これまでより踏み込んだ主張をしています。
バブル以前からの古株である僕と、最先端を行く若い起業家との見解が合致するところには、きっと大きな意味があると確信してのことです。

普段、生活者としての僕らが「デジタル」という語を口にする機会はもうほとんどありません。谷尻誠さん曰く「技術の最高峰は環境に溶け込むこと」。「デジタル」はもう自己主張のステージを終えて生活の基盤になっています。

ところがマーケティングコミュニケーションの現場ではいまだに「今回のキャンペーンは予算の関係でデジタルだけで」のような会話がなされていて、デジタル/Web=テレビ代替の手軽な広告媒体、という認識が残っています。
あるいは「webサイトは企業が所有するメディアだ」というコスト視点からの感覚もまだ残っていたりします。

産業界ではかつての「ニューメディア〜マルチメディア」騒動の延長にいろんな用語が継ぎ足されて今の「デジタル」の概念が漠然とできあがり、そこで次々と祭り上げられる目新しいバズワードを囲んで踊っている間、経済成長率もデジタル競争力も、もはや日本は先進国と呼べないレベルに低迷を続けています。このまま行くとメタバースも本質を外れたカラ騒ぎが展開されそうです。

「レピュテーション」とか「パーパス」とか、普通の英語で語られ、日本語でもじゅうぶん理解できるはずの概念をカタカナ英語のバズワードで謎めかせ、ありがたがる風潮には、オカルト的な民間療法にすがる難病患者と同じ、行き詰まった者の心理があると感じていますが、デジタルまわりにもその匂いが濃く漂っています。

デジタル技術による通信コストの低下は、企業の広告費うんぬんを遥かに飛び越え、情報発信の民主化と情報生活の能動化を生みました。

人々が手にしたその能力が自己実現欲求と結びついた結果、デジタルの本質は、「多数の主体的な個人が参加し、時間と体験を共有し、交流する」場の価値に収束してゆく、と考えます。

そう考えると、デジタルをアナログ/リアル/ライブの対立項に置くのは技術が自己主張をしていた時代のテクノロジー軸の発想です。

生活環境に溶け込んでからのデジタルを体験軸の発想で見ると、それはむしろリアル/ライブ体験との親和性が高い。録画・コピーされて大量に配布される一方通行のコミュニケーション=マス広告とこそ対立するもの、という図式が見えてきます。

かつては不思議に思えた「音楽体験がデジタル化すればするほど、ライブやフェスの市場が大きくなる」という現象も、そう考えると本質がよく理解できます。
そしてメタバースの意味・価値も、この文脈でとらえてゆくべきだと思っています。


のちに人類の歴史を俯瞰してみた時、マス広告というのはほんの過渡期的な、未熟な技術によるいびつで不完全なコミュニケーションの形だった、とレビューされる。そんな未来が見えてきた気がしています。

02/10/2022

W+Kポートランド本社に行った時、ダン・ワイデンのオフィスに木彫りの熊がぽつんとひとつ置いてあるのを見ました。
ダンは前の奥さんを亡くした直後で、それがなんだかちょっと寂しそうに見えました。

その少し後、ダンが東京に来ると聞き、たまたま故郷の北海道に帰省したついでに僕は小さな木彫りの熊を2つ買ってきて、打ち合わせの後にプレゼントしたのですが、
ダンは目を丸くして
「toru、ありがとう。これはかわいいね。ただ非常に残念なんだけど、あの木彫りは熊じゃなくてビーバーなんだ」

一緒にいた佐藤澄子さんと三人で大笑いしました。

「でも、僕は子供たちのキャンプのリーダーをやっていて、そこでの呼び名がPapa-Bearって言うんだよ。だからすごく嬉しいよ。」

そう言ってにっかり白い歯を見せて笑った彼の笑顔が忘れられません。
"Just Do It"のコピーをどう思いついたのか、など、いろんなことを本人から直接教えてもらえたのは、自分にとってかけがえのない宝物です。

ご冥福を祈ります。

24/07/2022

気分はすでに残暑ながら実はこれからが夏本番。
今年は上期にかなり濃く働いて、現在仕事はやや小休止状態なので、あちこち身体の修繕をしながら、インサイト、6BOX、プレゼンテーションなど自分の持ちネタを整理しています。6BOXは誰に紹介してもおおむね好評なこともあり、時代に合わせて用語関係を見直してver.3を作成しました。
プレゼンテーションは、最近あちこちでいろんなメソッドやノウハウが紹介されているので、自分なりの現場経験から来る知見の部分を強調して、これは11月に松山大学で行うセミナーで新バージョンをお披露目するつもりです。

今年はここまでの間、昨年からのプロジェクトの着地をはじめ、僕の大好物の「どこから手をつけていいかわからない」案件=つかみどころのない雲に把っ手をつけてつかめるようにする仕事が多くて楽しい日々でした。

・東京建物アメニティサポート企業理念策定
・HONDA 環境企画・資源循環理念策定
・ブリヂストンDesignPrinciple視覚化コンセプト策定
・大塚製薬OS-1 NextPhase戦略策定
・ヱビスビールデジタルアセット戦略策定
・金沢まいもん寿司ブランディング基本方針策定
・東かがわ市手袋工業組合 事業再活性化支援

ほかにBOLD案件をいくつかと、インフロント系の医薬品関係案件、Jthinkという土木系ブランド、福井の抗ウイルスコーティング剤ブランドなど、色とりどりのにぎやかな顔ぶれ。

その合間に目と指の手術を受け、東かがわと金沢に出張、ライフワークとなりつつある恒例の大雪山にも行ってきました。

宣伝会議のセミナーは今年も声をかけていただいて、3月のクリエイティブディレクション講座のあとはなぜかこの1ヶ月くらいに集中し、6/28Web&広告講座、7/7クリエイティブディレクション・ハイブリッド講座、そして7/12には電通ライブ様の能力開発研修でインサイトプラニングセミナーを行いました。これは後半のワークショップまでひと続きのセッションなので、NakedCommsの高木氏に援軍を依頼してファシリテーションをやってもらい、僕は前半の座学とワークショップの課題設定を担当しました。

そして来週7/28はインサイト活用基礎講座。ハイブリッドの予定が新型コロナ第七波でライブ配信のみになりそうですが、例年どおり僕は午前中の講義150分を行なって、午後のデコム大松氏につなぎます。

実はこの講義枠が僕は一番好きで、最初の50分でマーケティングコミュニケーションの課題とインサイトの重要性、次の50分で6BOXの説明と使い方、最後の50分でケーススタディというフルバージョンの構成が組め、全部がつながって理解できるように設計できるので、話しきれなかったというストレスがあまりありません。
今回はver3.1を作成したのをきっかけにかなりあちこち修正して、よりわかりやすくなったと思っていますが、時間配分的には現状まだ5分くらい超過しそうなボリュームなので、直前まで何度かリハーサルをしてぎりぎりまで内容を削っていくつもりです。

本当は、事例を減らして余裕を持たせ、休憩や質疑応答やワークの時間をとるのが、講師側としても楽で良いのでしょうが、ついつい時間貧乏性で、なるべく隙間なく有益な情報を詰め込み、かつ、感覚的に楽しく聞けるようにと、濃厚にしてしまう癖があります。すると、概念とその意味、そして実例をできるだけ揃えようといつも欲張ってしまい、最後は何を削るかで2、3日悩むはめになってしまいます。
持ち時間に制限のある競合プレゼンと同じマインドですね。

これに関してはなかなか成長しません。が、僕はあくまで実務が本職、講義はその経験から生まれる余技なので、仕方ないかな、スカスカよりはいいだろうな、と、今は自分を甘やかすことにしています。

20/04/2022

ブランディングはマーケティングが持続性・自走性を求めて行き着く一つの終端で、企業と顧客が互いにリスペクトし、支え合うことで幸福に共存する関係を築くものだと思っている。そこになくてはならないのが愛情というファクター。

一方、マーケティングの別の終端には、顧客を獲物や標的とみなし、獲得した頭数を誇る狩猟派もいる。マスメディアという使い捨ての武器を売る商人だったかつての広告代理店には、無知な消費者を洗脳してモノを売りつけた武勇伝が溢れていた。それを誇りと感じるためには、兵士や処刑人のように、ターゲットの人格や物語は無視し、愛情を持たず、データとして冷静にとらえる感性が求められた。
昔はそれをハードボイルドな美学としてもてはやす風潮もあった。

無知な消費者やクライアントを「シャブ漬けにする」という表現は、昭和の頃、僕も実際に何度か耳にしたことがある。マルボロを2箱持ち歩く体育会系の営業マンが、酔って若手に説教を垂れていた午前0時の六本木、バブルで荒んだ時代の卑俗なアナロジー。言う人も聞く側も覚醒剤中毒者なんてドラマの演出でしか知らない、リアリティのない例えだった。思うに、趣味の悪い迫力を欲しがる中二病的な思考だったのだろう。

そんなことが自慢になる時代はとうの昔に終わっている。だから自分よりひとまわり若い人があの懐かしいフレーズを使って講義をしたという話を聞いて、思わず脱力系のため息がもれた。

例えの適切さはともかくとして、生活者はもはや企業が金で操れる無知で無力な存在ではない。愛情やリスペクトを欠くマーケティングに対する人々の生理的な拒否反応がブランドにとって致命傷になりかねない、という事例として見ても興味深かった。

僕は20代の一時、ひどく金がなかったころ、アパートの近くにあった吉野家のおかげで空腹と味覚が満たされ、惨めな気分から救われたことを体の芯で覚えている。
時には高級な寿司屋だって行けるようになった今でも、吉野家は愛用し、しみじみうまいと感じて味わい、自分の中からその感性をなくしたくないと思っている。

文明開化以来100年続く吉野家の味は、北千住の大はし等と並んで、日本の牛肉食の元祖的存在だ。それをあの値段、あのクオリティ、あのオペレーションで安定的に各地に供給し続けているのは本当にすごいことだ。味が理由でアメリカ牛にこだわっていることや、基本設計は変えずに完成度を磨いていく姿勢も、老舗としての矜持を感じさせる。



かつて幻のキノコとして珍重された舞茸は、栽培法の確立によってスーパーで100円台で買えるようになった。でも量産によって食材としての基本的な価値が下がったわけではない。
昭和の初めはシイタケと変わらない値段だった松茸は、供給減による価格高騰で今では高級品となった。が、それは相場の問題で、高値の理由はおいしさが増したからではない。

高いもの=おいしくて良質なもの、安いもの=味や質が低いもの。だから人々はお金があればもっと”いいもの”を食べる、という拝金主義的な短絡思考も、今の時代とはずいぶんズレているなあと感じる。僕の中での吉野家は、その堂々たるアンチテーゼのブランドのはずだったのだけれど。

自分にとっての”いいもの”と、市場での取引価格が相関しないというのが、個性化・多様化の時代を象徴するひとつの現象だ。そしてそれを臆することなく表明できるのが、情報の主権が生活者に移った現代の面白さだと思う。

でも案外、大きな企業の「上の方の人たち」の中には、そんな感覚のギャップを埋められていない人が多いようだ。年齢や性別、世代のせいばかりではなくて、感覚の新陳代謝が行われていないのだ。頭の良いエリートなのだろうけれど、受験と出世に明け暮れ、役員室や社用車に閉じ込められて人生を過ごすうちに、街や時代を直に呼吸することを忘れてしまうのだろうか。

いろいろと残念な話だ。

03/01/2022

明けました!おめでとうございます。

12月はいろんな案件を締めつつ、1月に行ったNRIさんの研修の2回目と毎年恒例の松山大学の「えひめベンチャー塾」のオンラインセミナー、京都と福岡に出張、その合間を縫って忘年会を5発。大山と雪の西穂丸山登山もしたりで、本当にあっという間に年末を迎えた印象です。
最後の出張は、2月の沖縄で仲良くなったデロイトの松田さんにお声がけいただいたもので、九州経済産業局で資源循環システム構築検討委員会のゲストスピーカーという、ちょっと緊張するものでしたが、ちょうど関わっていたいくつかの案件が循環型経済に通じるものだったので、ホットな話題をいくつか紹介してきました。

プラニングで新たな発想をすると類似テーマの案件が引き寄せられて来る同時多発現象はこれまで何度も経験してきて、振り返るとそれは時代の流れが大きく変わる潮目だったことが多いのですが、昨年後半はまさにそれが連発しました。まだ総括するには早いのですが、予感が薄れないように書き留めておくと、
・【意識】消費から戦略的自己投資へ
・【モデル】直線的拡散構造から循環型のトーラス構造へ
・【価値軸】効率から美へ
・【主体】系統組織から個の群へ
こういったシフトを文化/技術/ビジネスの各側面で発想し、自分にできることを欲張らずひとつづつ積み上げてゆく、という基本法則で、目の前の様々な課題に新しい出口を指し示すことができる時代に、どうやら本格突入した気配があります。

それはたぶん、ちらばった巨大なジグソーパズルのピースを、みんなが自分の手元で少しずつつなぎ合わせ、声を掛け合いながら組み立ててゆく感覚です。

そしてこうしたシフトは、僕らにとっては全く新しい何かではなく、日本が近代化以前まで1000年以上にわたって培ってきた文化や美意識にたくさん学ぶべきことがあり、ここ何十年かの異質な価値観を上手に取り除くことから始めればいいというアドバンテージがあるという気づきも重要だと思っています。
(既に誰かがもっとうまく書いているのかもしれませんね。僕は自分の毎日の仕事を解きながら実感したことしかまとめられなくて)

本格突入を感じるのは、こうした感覚を言わずもがなで身につけ実践している人と、実感して動き始めた人、頭では理解していながら感覚がついていかずギクシャクしている人、古い感覚にしがみついて粘っている人の4種類がビジネスの現場で正規分布してきたように思えるからです。この差は「近代」の価値観と成功体験への固執度・硬直度に重なるため、後者はかなりの勢いで社会の表舞台から消えてゆくことになるはずです。

そして多くの大企業で、昭和の価値観での成功者である経営層と、新しい感覚を持った若手との温度差は驚くほどに大きく、それがコロナ禍で加速しているのが興味深いところです。

最近の優秀な学生は政治家の想定問答集作りで徹夜するような仕事が馬鹿馬鹿しいと考えて国家公務員を目指さなくなっているという話を聞きましたが、企業の中でも、スピーディに新規事業を立ち上げたいのにいくつもの審査や凛儀を経てハンコをもらい、様々な規定に縛られなければならないことに、今時の優秀な若者は耐えられない。
仲間を集めて資金調達して起業する方がはるかに健全でやりがいがある。経営会議のまた聞きではなくSlackで経営陣とリアルタイムに情報共有しながらプロジェクトを動かしてゆく。そういう感覚を空気のように身につけている人たちに会う機会もどんどん増えてきました。

そこに感じるエネルギーは、僕が幼い頃に見た戦後の大人たちの、発展途上の高揚感/守るものより壊して創るものの大きさへの興奮、に通じるものがあります。思えば今の「大企業」も、方向性は違ってもそういう熱量が育て上げたものでした。
僕はもうひとつの戦後に身を置いているのかもしれません。

古い仕組みを破壊するのではなくきれいに解体し、回収して新しい姿に再構築する、その鮮やかさや気持ちよさをみんなが楽しめる時代が、すぐそこに来ている予感があります。
芋虫が同じ体組織を使って蝶に姿を変えるのが、子供の頃も今も、不思議で不思議でしかたありません。そのとき蛹の中ではいったんすべての細胞が液体のようになって流動しているそうですが、今の世の中もそんなタイミングであったら楽しいと感じます。そんな変化の加速に、今年も少しだけ貢献できたらいいなと思っています。

22/11/2021

まさに降れば土砂降りで、この2〜3ヶ月ほどの間にそれまでの半年分以上の仕事が集中したところに、半ばライフワーク化しているHONDAの仕事も再稼働して、久々にめまいがするほど忙しい日々でした。宣伝会議のセミナーに加えてBOLDの勉強会を始めたり、博報堂のマーケ同期会の幹事をやったりして自分で首を絞めていたりもしたのですが。
でも、積まれるスピードをぎりぎり上回るペースでなんとかこなし続けて、やっと今週くらいからin/outのバランスがとれるようになってきました。

長期視点で深くコンセプトを考える仕事、健康医療系の難しい仕事などが多くて、たくさん頭を使い、運動した後のような疲労感を感じたので、オーバーロード理論で言えば脳がだいぶ鍛えられたかも。
かつ、気分転換に腕立て伏せをしたり、たまに登山に行ったりしてたから、この歳でフィジカルもだいぶ強くなりました。
あと、先月資生堂さんの企画でやらせていただいた大学生のワークショップや、BOLDの若いメンバーとのやりとりでは、彼らのものの見方や世界観にハッとさせられることが多く、感性の面も刺激されてリフレッシュされるのが心地よい。

という、大変だったけど充実していた日々でした。

まわりでも夏以降忙しくなったという人が多くて、あちこちでいろんなことが動き始めたんですね。

昔、John.C.JayがKUMONの仕事に触れて、「立派なTVCMを誇るんじゃない。子供たちが毎日手にする鉛筆や消しゴムに入るロゴをデザインしたことを誇るべきだ」と言っていたことが、僕はずっと記憶に残っています。
広告の仕事とブランドの仕...
02/08/2021

昔、John.C.JayがKUMONの仕事に触れて、「立派なTVCMを誇るんじゃない。子供たちが毎日手にする鉛筆や消しゴムに入るロゴをデザインしたことを誇るべきだ」と言っていたことが、僕はずっと記憶に残っています。

広告の仕事とブランドの仕事の重ならない部分のことを言っていて、僕はそこに未来を感じたものです。
その後、中小機構のアドバイザーを務めるようになり、本業である「広告」という手口をほぼ封じられたときに何ができるんだろう、というテーマは、自分なりの挑戦の連続でもありました。

石垣島で木工所を営む東上里社長と出会ったのは、2018年に中小機構沖縄で行われたビジネスセミナーでした。
ご自身が営むうえざと木工内に「WOODLUCK」という名の工房を作り、今ではほとんど使われなくなった「島材」を加工していろいろな木工品を制作する、実験的な試みをされているとのことでした。
森林が豊かな石垣島には70種ほどの沖縄固有の木材があり、資源の乏しい島の生活と文化を支えてきました。ところが近代化の中でだんだん、安くて加工しやすい輸入材に押されて、クセのある島材の需要は減少していったのだとか。
開発の中で樹種自体が失われるものまで出てきて心を痛めていた東上里さんは、残された貴重な樹種を再発見して保護する活動のかたわら、材が均質でなく扱いにくい島材を、その個性を生かす形で加工・製品化して販売する挑戦を始めました。
そしてこれに共感した様々なバックグラウンドの若者たちが全国から集まってきて、木工所の本業のかたわら創作活動を続けていたのです。

社長の悩みは、そうした若い職人たちは、それぞれに情熱はあるのだけれど「自分は何のために何を創作するべきか」という目線がばらつき気味で、制作物が多様なのは良いけれど気まぐれなものの寄せ集めに見えてしまっているということでした。


島材の利活用はこのブランドの存在意義を文化の視点から形作るものですが、経済の視点からは明らかに効率が悪い事業。この取り組みを通じて、本業への期待や持続性が強化されるようにしなければ、この活動は続きません。工房が生み出すものは「売れるもの」であることは重要ですが、同時に島材の今日的な意義を問いかけるものであるべきです。
多様な個性による創作は、そうした目的意識をふまえた上でなされるべきです。

ブランドの出発点である島の木への思いを、若い世代が自分ごととして感じ、深めることがきっと役に立つ。
そう考えたときにふと頭をよぎったのは、島の木には何か語るべき物語があるはずだ、という仮説でした。


石垣島の工房を訪ねて社長と職人さんたちとのワークショップを重ね、木と人の関係について、安いものを大量に作って大量に捨てる文化について、石垣島の植物相の豊かさについて、八重山という土地の生活と文化と木の役割について、島材を扱う大変さと面白さについて、など、時間を忘れて話し合うのは実に素敵な体験でした。

そうした議論の中で、貧しく資源の乏しい八重山の暮らしの中で人々は島の木を大切に扱い、工夫を重ねて共存してきたことや、神・妖怪・人の区別があいまいな沖縄では、ごく自然に島の木にも人格を見出し、そのキャラクターを物語として語り継いできたことを確認しました。
それは島材が扱いやすい便利な材料としてではなく、リスペクトし共存する対象として島の生活の中で存在し続けてきたことを表しています。
それこそが、自分たちが創作・制作活動によって後世に伝えるメッセージだ、という思いが揃いました。

そうした物語を語れる人はもうほとんど残っていませんが、唯一、自らも工房を営むトマイさんという仙人のようなおじいがいて、島の木のことは誰よりもよく知っていると言います。それらの物語が忘れられる前に自分たちで話を聞き出し、記録しておこうという発想が生まれ、競合でもあるはずのトマイさんの工房に若い職人さんたちが通って、島の木の話をひとつづつ聞き出し、書き留めるという作業がコツコツと続けられていきました。


中小機構の公的支援終了後、僕は引き続きリブランディングとwebサイト再構築を手伝うこととなり、盟友の佐藤哲康君と辻本忠さんとのチームを組んで、WOODLUCK改め”KATARIGI”という新ブランドを立ち上げ、石垣島への取材で見つけた権現堂の麒麟の絵と船造りに使う部材の「チギリ」をモチーフにしたロゴマークも作成。

そしてこのたびそのKATARIGIから、「島の木の物語」と「島の木の図鑑」という二冊の本を刊行したという知らせをいただきました。
ほとんどは学校などへ寄贈されるとのことで、これは利益を上げるための事業ではなく、話題作りのためでもなく、かと言って慈善事業とも違い、ブランドとしてやるべきことを貫くという純粋な姿勢からの活動。

KUMONの鉛筆のように地味ですが、未来につなげる文化遺産として大きな意義があるものです。
こうしたことは大手企業でもなかなかできるものではありません。
こうしたことに関われ、多少なりとも力になれたことを誇りに思います。
(写真は機構アドバイザーの池村さんが送ってくれた、記者発表会の時のものです)

11/06/2021

最近、書きにくい仕事が多くて備忘録の役に立ってない・・・。

今動いているのはブリジストンのワークショップ企画提案にクラレの企業広告プレゼンサポート。あと、SBGのグローバルサイト統合に関して、SFのStudio Mococo(旧Mococo Muse)のGabbyから連絡をもらい、契約を結び直して東京側対応をサポート。

JR-Crossはコーポレートボイスのインナー向け浸透施策の企画。
クライアントからはこれといったオリエンがなく、マネタイズできるかどうか不明ですがなぜか僕だけはフィーの保証もないまま稼働(笑)

BOLDではTee-chiのスキル投資のフレームが固まりつつあるのと、延期になっているOIST訪問に向けた会社案内の英訳を進めています。
英訳では、ブランドのタグライン「どこかの素敵を世界一にしよう」を英語化するにあたって、LAにいる元W+Kのコピーライターをアサインして英語コピー開発をしてもらうことになりました。
いいコンセプトだからただでいいよ、と言ってくれて嬉しいものの、さすがに悪いので少しお金を払うことにしました。

・・・と、なにやらそれなりに忙しい今日このごろです。
SPECIALのUberEats案件がちょうどクリエイティブ開発ステージに入って小休止状態なのが救いと言えば救い。

宣伝会議では、先だって急逝された宮澤節夫さんの代役で大塚製薬の企業研修を急遽担当することに。コミュニケーションデザインと聞いていたのだけれど、実は営業向けの商談力強化のためのものなので、手持ちネタのプレゼンテーション研修をアレンジして対応することにしました。

今日は本当なら宮古島のしまとうふ社第三回目支援の予定だったのですが、コロナを考慮して製造現場見学がだめになったのと、予定していた航空便が欠航になって振替に手間取ったので直前にキャンセルして来月に延期。
代わりにリモートでフォローアップして次回につなぐことにしました。今日は現地のウェブ制作会社セルリアンの人にも参加してもらい、段取りを打ち合わせ。
ローカルあるあるで、いつもは企業側からこれといったブリーフィングはなく、彼らなりにいろいろ工夫して考えてあげていたようで、たしかにそれではなかなか戦略的にデザインされたものは難しいだろうなあと思います。
ローカルのビジネス環境では、事業者から制作会社へ直接発注というケースは非常に多いはずなのですが、戦略的に整理されたクリエイティブブリーフというものを行う習慣はほぼ皆無な気がします。というか、公的支援機関やコンサルも含めてそういう発想もスキルもない。

今回はタイミングが合ったので支援の三回目として僕がブリーフィングをして見せることになり、特例として追加の第四回支援も設定してくれるようなので、制作会社から上がってきたものにフィードバックも返せます。
そういう段取りを話すとセルリアンの人はちょっと張り切って見えたので、力を合わせていいものができるといいなあ。

ブリーフィング次第で制作スタッフの能力発揮は半分にも倍にもなると思います。ここを強化できるうまい方法があると地域経済の活性化には大きな力となるはずなんですが、機能として表にみえづらいだけに、なかなかそういう方面に予算がまわらないのがつらいところです。
いくら補助金を出しても戦略性の薄い単発のプロモーションイベントみたいなことでは継続性がなくて疲弊してゆくパターンが多いのですが、予算は年度単位での消化が求められるからどうしても短期的にわかりやすい成果物を見せられるものに流れがち。

せめて対空時間の長いWEBサイトくらいは、ブランド戦略にきちんと根差した作り方ができるといいなあと思うので、今回いい前例を残すことが僕にできる最善の策だと考えています。

13/05/2021

ちょっと変わった経緯で新規案件に手をつけたので、備忘録がわりに書いておきます。

僕も理事をやっているNPO法人和塾関係者からの依頼で、日仏貿易が扱っているアジアン調味料・食材ブランドAYAMの件で相談に乗って欲しいとのこと。AYAMは僕も、グリーンカレーやピニャコラーダを作るときに愛用していたココナツミルクのブランドなので知っていましたが、マレーシア発の老舗で、現地では知名度100%とか。日本の味の素やハウスに当たるのでしょうね。
で、とりあえずクライアントとのミーティングをセットしてもらって話を聞くことになりました。

詳細は省きますが、要は販売促進策を立てるための調査をやろうとしているらしく、どこかの調査会社に話を持ちかけつつ、セカンドオピニオン的に戦略プランナーの話も聞きたいということのようで、別なブランドを担当しているPR会社の人を通じての相談でした。クライアントは誠実そうな、地に足のついた感じの人なのでちょっと安心。
僕は昔クックドゥを担当していたり、食関連は得意分野なので、頭の中にシックスボックスを置きながら話を聞いていると、状況はよく理解でき、仮説と処方箋も書けそうなので、預かって僕なりのInitial Thought をまとめてみることにしました。

課題は明快で、外食での人気ジャンルの内食化シナリオをどう描いて、そこにブランドをどうポジショニングするか。
これは80年代のクックドゥから学べることも多いです。当時は回る鍋の肉、なんて誰も読めなかったわけで。

聞くと予算も微々たるもののようなので、調査にお金をかけるよりデスクリサーチで仮説を組んでプラニングを走らせる方がいい、やるならプラン検証のための調査がいい、ともはっきり示唆。これが4/28のことです。

で、実際にデスクリサーチを始めてみると、思った通りかなり様々な情報が得られ、インサイトも見当がつき、仮説が立ったうえに具体的な施策方針も芋づる式に発想できました。

GW中の隙間時間にスマホでちょこちょこ検索したりメモしたりしておいたものを、ぱぱっと30枚弱の企画書にまとめ、ミーティングからちょうど2週間後の5/12にInitial thoughtを共有。

こういうプラニングはあまり哲学的なことで悩まなくてよく、マーケットや意識・行動のギャップも明快、突破口もほぼ見えているので、戦略発想のピースをてきぱき組み立てていけば進むべき道が見えてくるので、作業をしていて楽しいものです。
材料がきちんと揃い、出来上がりのイメージも頭に浮かびながら料理を手際よく作っている感じ。

実はこういう感覚で仕事をできるようになったのは、いろんな経験が一巡した、割と最近のことかも知れないです。
基礎体力がついた上で山登りをしているような感覚にも近いのかな。

処方箋としてはかなり効果が上がりそうな、無理のないプランが描けていると思いましたが、クライアントもかなり興味を示して喜んでくれ、社に持ち帰って検討してくれるとのこと。

まあ、こういうケースの場合、担当者から上席に話は行ったが立ち消えとか、やっぱり数字が欲しいから大規模なリサーチをやることになりました、とかいうのはよくあることなので、あまり前のめりにはならずに待とうと思いますが、イメージしているような展開ができて、新商品提案とかもできたら、2〜3年後には売り上げは10倍近くにはできそうで、ブランドも大きく育てられると思うので、楽しみでもあります。

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