30/08/2025
以前、僕のメンターであるクリス・ライリーと会話している中で、「君が『欧米的』と認識しているものの大部分は『キリスト教文化的』なものだよ」と教えられてハッとした事がある。
確かに日本と対比する相手として「欧米」というのは地理上の区分にすぎず、文化的な考察をするにはあまりに雑で、漠然としていた。
あらためて日本という国の文化的個性を考察する際、キリスト教的世界観、あるいはイスラム教、ユダヤ教も合わせたアブラハムの一神教的な世界観との対比で見ると、くっきり浮かび上がってくることが多い。
忘れがちだが、日本は侵略による自国文化の破壊や他言語使用の押し付け、外圧による一神教化の強制を受けることなく、土着的な多神教が残ったまま近代化し先進国化したほぼ世界唯一の例だ。戦後、生活文化の多くが洋風化される中、言語体系や宗教観は欧米由来の上書きがなされなかった。母国語で高等教育を受け、一流企業で仕事できるから、英語なんてできなくてもいい。
日本語。曖昧さや解釈の余地を多く残し、感覚の伝達能力に優れた独自の言語が、独自の世界観や思考、倫理観を育んできた。それは曖昧ゆえに包摂的で、感覚的ゆえに論理や規範や立場を超えて人を結びつける柔軟な力を発揮する。日本的な宗教観も、そうしたしなやかな感性の上に成り立ってきた。
この世界はいろんな神様が時に争いながらも共存してできている。だから時と場所、場合に応じて様々な神様に手を合わせ、祈る。お地蔵様などには畏怖よりも慈しみの心で接したりする。神と妖怪の境界だってあやふやだ。クリスマスのあと除夜の鐘を聞いて初詣に行く。日本人にとっては普通のことだが、世界にはそういう態度に眉をひそめる人も多いだろうし、下手をすれば敬虔な信者に激怒されかねない。
妙心寺退蔵院の松山大耕さんが、こうした日本人独特の宗教的な節操の無さを考察して、日本人にとって信仰は「Believe」ではなく「Respect」だと言っていた。
確かに僕らは、優れた職人芸を神業と崇め、友達に「神」と言って感謝したりする。この感覚はリスペクトだ。まさに神様は多様。みんな違って、みんな偉いのだ。
さて、ブランディングの目的として「信奉者」を作る、という視点がある。単なる消費者・顧客を超える熱狂的な支持者を作り、伝道師として布教活動を担ってもらう、という考え方。
カルトブランディングという概念もあるようだ。
こうした宗教的なレトリックが用いられるのは、社会の豊かさが増して人々の欲求がより高次元の精神的なものに向かったことと、デジタル技術によるコミュニケーションの双方向化・民主化で、人々が能動的な発信者となったことが深く関係している。
かつて、人々の個性や能動性を考慮しないことで成功してきたマスマーケティングの発想では、軍事戦略や武力のレトリックが多く用いられた。軍事戦略の目的は制圧と統治。市場シェアは領土に置き換えて戦略・戦術をイメージしやすかったし、プロパガンダ的な広告コミュニケーションも機能した。工業生産力で軍事・経済ともに世界一の大国になったアメリカ発の思考には説得力があった。
ところがこうしたレトリック、僕は頭では理解できても、どこかに生理的な拒絶を伴う違和感が残るのだ。戦争放棄国の日本でビジネスやマーケティングを軍事に例えるのも好きではなかったが、宗教的な表現はさらに心理的な防衛機能が働く。
それはアメリカンジョークの居心地の悪さや、人種差別に対するセンシビリティに触れた時の戸惑いにちょっと似た感覚で、きっと「宗教」との向き合い方の違いによるものだと思う。
カルトという言葉には警戒感が湧く。熱狂した人とは冷静になるまで距離を置こうと思う。エバンジェリストを「伝道師」と直接的な日本語にして企画書に書くのはどことなくためらわれる。
それはオウム真理教や統一教会に端を発した事件からの不穏な連想の影響もあるだろう。盲目的に何かを信じて他者も同調させようと熱心に活動する人には危うさを感じるし、人々を熱狂させようと目論む存在にはつい邪悪さを予感してしまうのだ。(人々が結果的に熱狂する作品を創るピュアな神アーティストはリスペクトするけれど)
そういう意味では、ブランドへの能動的な関係性を織り込んだ顧客のあり方として「推し」という感覚はしっくり来る。
伝統的な「タニマチ」の感覚に近い。かつては豪商など金持ち旦那の道楽だったものがデジタル時代になって民主化・クラウド化されたと考えるとわかりやすい。ただ好きだと言うだけでなく、自分もその対象に影響力を持つ支援者としての関係性に自己実現を見出す投資活動だ。表面的には直接的なリターンを期待しない献身・自己犠牲的な行為にも見えるが、実は精神的な充足感という究極的なリターンを得るものだ。
そこで、「推し」の感覚をブランディングに持ち込み、“クラウドブランディング”の基盤となる方法論や発想法を整理しようと、参照すべき専門知識やメソッドを探ってみた。今、実際に人を動かしている現場の人からの一次情報が欲しいので、学者やマーケターが書いた本などはあまりあてにならない。
現象としてはエンタテイメント領域にたくさん事例があるが、いかにもとりとめがないので、ある程度ビジネスとして組織化・体系化された枠組みのあるものを探ってみて、まずハリウッドのシナリオライティングのメソッドに行き当たった。さすが、銀行家がシナリオを読んで投資判断をするというハリウッドだけあって、主人公に感情移入して共感と応援の心理を作るための実践的なノウハウが整理されており、かつ作品そのものが成果物なので事例として見た時にエッセンスがわかりやすい。
そこに行動喚起の要素を重ねるために、AKBやBTSなどアイドルユニットのファンダム形成法も考察してみたが、面白いことにこれらを一般化すると、何度か取材した歌舞伎町のホストクラブで教えてもらったテクニックと共通する部分が多いことに気づく。
ホストとはまたずいぶん卑俗な例で、学者の先生には馬鹿にされそうだが、そこにはむき出しのリアリティがあって、何らかの真理の存在を感じている。
これはまた次の機会にここにまとめて書いておこうと思う。
ちなみにホストのノウハウには他にもベンジャミン・フランクリン効果に通じる『M度判定のテクニック』なども存在していて、行動デザイン上もとても興味深い。
昨今、ホストクラブ界隈は売掛問題で悪いイメージもあるが、振り込め詐欺のシナリオを考える犯罪者に高齢者インサイトをとらえた行動心理の才能を感じてしまうように、犯罪との境界にはビジネス目線で考察に値する題材が眠っている事が多い。これはNakedCommunications創設メンバーのアダム・フェリエ(犯罪心理研究者)から教わったことだ。
そしてさらにその被害者側を考察すると、精神病理との境界(愛着障害など)にはインサイトの宝庫がある。
ヒトラーはプレゼンテーションの天才で、第一次世界大戦後の恐慌で病んでいたドイツ社会を大きく動かした。あの賢明で堅実なドイツ民族をだ。
よく切れる刃物は何にどう使うかが問題なのだ。